【旅行】クロアチア その2

クロアチア2日目。今日は日帰りツアーでボスニア・ヘルツェゴビナモスタルへ行く。
今日も天気は快晴。昨日と同じくらいの暑さになる模様。

8時過ぎにホテルを出てバスにピックアップしてもらう。
15人乗り程度のマイクロバス。シトロエン製というところがいかにも欧州。


国境を何回か(クロアチアボスニアを行ったり来たり)しなければならないため、パスポートをガイドさんに渡していざ出発。
メンバーはおじさんおばさん中心だが、アジア系の女性3名も乗っていた。
(後にシンガポール出身のオーストラリア人と判明。)

朝日が映えるアドリア海沿いに車を走らせ、最初の国境を突破。
特に乗客が何かする必要はなく、運転手とガイドさんで簡単に通過。

出発から1時間位経ったところで最初の休憩。
ここの土産物屋兼スーパーには何故か 日本の国旗と「おおきに」の文字  が。


日本食材でも売っているのかと思ったが、全くそんなことはなく…。日本人がよく来るのかしら?そんな風には思えないけど…
ところで右側の国旗ってどこだっけ?

ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨は 兌換マルク

「マルク」と聞けばドイツが思い浮かぶが、その名の通り2002年までドイツマルクと1:1で交換可能であったことからこの名前がついた模様。
現在もユーロとは固定レートになっている。1マルク=0.5ユーロと明朗会計。ほぼ全ての店でユーロもクロアチアクーナも利用可能だった。
1ユーロ=2兌換マルク=8クロアチアクーナの固定レート。


15分程休憩して再出発。国境が複雑に入り組んでいるので一度クロアチア側に戻って、再度ボスニア側へ…ということを繰り返し、国境越えは計3回。

途中広大な農地が広がる景色も見え、クロアチアボスニアが農業が盛んな国であることがよくわかった。
特に今はみかんが収穫され始める時期らしく、道端でネットに入ったみかんを売っている店をよく見かけた。


ちなみにガイドさんは女性の方で、もちろん英語 である。
とても綺麗な英語を話すので、ほぼ問題なく説明は聞き取れた。全てとは言わないが8割位は。

3月にスコットランドインバネス地方に同じようなバスツアーに行ったときは、
スコットランド訛りの強い英語だったということはあるにせよ、聞き取るのにかなり難儀したものだが、半年経って本当に成長したなと思う。

英語のガイドで十分であれば、これから先旅行に行った時もかなり選択肢は広がるね。
ちなみにモスタルツアーも日本語ガイドのものをネット等で見かけたが、日帰りなのに100ユーロ越えだった。
安く気軽に選択肢も多くなるからいいことだらけだわ。


再び1時間程経ったところで中間目的地のポチテリへ到着。

ボスニアオスマン帝国支配時代にイスラム教が普及し、今も最大勢力を誇るボスニア人はほとんどがイスラム教徒。
欧州だがトルコ風の文化が根付いていて、建物ではモスク、土産物屋では織物などイスラム文化で成り立っている。

ポテチリはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1993年にクロアチア人の武装勢力によって大規模に破壊されてしまったという。
この後のモスタルでもそうだが、紛争の爪痕は今でもあちこちに残っている。


ポテチリでは30分程滞在。屋台で売っていたイチジクを食べたり、モスク前の土産物屋でスノークリスタルを買ったりして過ごす。

そこから30分程で、最終目的地のモスタルに到着。

モスタルでは地元のガイドさんが登場。
若いイスラム教徒の女性だったが、肌を隠すような恰好をしているわけではなく、ボスニアイスラムはリベラルだという説明にも説得力が。


ボスニア・ヘルツェゴビナは、クロアチア人およびボスニア人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が主体のスルプスカ共和国の2つの構成体から成り立っているが、
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦はさらに歴史的背景等からボスニア地区とヘルツェゴビナ地区に分けることができる。

ボスニア地区最大の都市が、国家の首都でもあるサラエボならば、ヘルツェゴビナ地区最大の都市がここモスタルである。


ボスニア・ヘルツェゴビナと聞けば、まず頭に浮かぶのが ボスニア紛争 だろう。
文化的にどんな国かは知らなくても、「ボスニア・ヘルツェゴビナ」という難しい国名が多くの人々の頭に残っているのは、
20年程前に頻繁にニュースでこの名前を耳にしたからに他ならないはず。
あとは…オシムさんの故郷としても有名かな。

きっかけは他の旧ユーゴスラビア諸国と同じく独立宣言だった。
詳細は専門のサイトを参照してもらうとして、要するに上記の通り3民族が一緒に暮らす中でそれぞれの主張や主導権争いということだ。
紛争は1991年から1995年まで続き、都市部でも激しい争いが繰り広げられた。


ほんの20年前まで本物の戦争が行われていた都市であり、街中の建物には当時の傷跡が生々しく残る。


まだらに残った窪みは全て 弾痕 である。

今では街は正常を取り戻したように見えるが、街中には欧州には珍しく物乞いの子供が結構いて、まだまだ生活レベルが安定していないことを窺わせる。
ちょっとインドを思い出させる雰囲気だった。


紛争中モスタルは東西に分断され、西側はクロアチア勢力が、東側はボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の軍がそれぞれ支配。
1993年には街の中心を流れるネレトヴァ川にかかっていた16世紀建造の橋、スタリ・モスト が破壊されてしまう。
モスタルという街の名前はこの橋の名前から来ている程に、この橋の持つ意味は地元民にとって大きく、深い悲しみに包まれたという。

その後橋は2004年に再建。翌2005年にはボスニア・ヘルツェゴビナ初の ユネスコ世界遺産 に指定された。
その際は橋の歴史的価値だけでなく、再建を経ることによって、多民族・多文化の共生や和解の象徴となったという側面も評価された
とのこと。


再建されたスタル・モスト。独特の形。


近くで見るとこんな感じ。


再建前から、若者達の間で度胸試しとしてこの橋から川に向かって飛び込むという伝統があったらしく、
今でも橋の真ん中では、観光客からお金をもらって飛び込むところを見せるという 体を張ったビジネス をしている人がいる。


橋の上から川までは21メートル。川の水は流れが速い上にとても冷たく、真夏には40度を超えるモスタルでも水温は10度程度だという。
そのため、(当然ではあるが)かなり高度な飛び込みテクニック を必要とするらしい。
数年前には調子に乗った旅行者がチャレンジして亡くなってしまうという事件も起きたのだとか。

橋の麓には Don't forget '93 の文字が書かれた石が…


橋の上からの眺めは素晴らしい。遠くに見えるのは1617年に建てられたコスキ・メフメド・パシャ・モスク。


紛争やら傷跡やらと痛々しいことばかり書いてしまったが、現在の街並みはとても綺麗で、イスラム文化と欧州文化の混ざった独特の雰囲気。
治安も悪くなさそうで、観光地としても非常に栄えていて、スタリ・モストの辺りは人でごった返していた。
欧州も色々見てきたが、その中でも面白い街だなと思う。


橋に繋がる道から渡ってしばらくまで、バザールとなっていて、両サイドにイスラム風のお店が立ち並ぶ。


バザールの終わりあたりでガイドさんと別れて約2時間の自由行動に。
ユーロも手元になく、クロアチアクーナだとレートがイマイチなので、とりあえず兌換マルクをGETするためにATMへ。
新生銀行キャシュカードは大活躍。

まずは昼食をということで、川沿いのレストランへ。テラス席は川岸にあってなかなか絶景。


モスタルは赤ワインがおススメというガイドさんの言葉に従ってビールではなくワインを注文。

BLATINAという一番上のワイン。値段の表記は兌換マルクなのでユーロなら半分。


ミックスサラダ。ドレッシングはかかってなくて、オリーブオイルや塩胡椒で自分で味付けするスタイル。


メインはボスニア風ハンバーグ「プリスカヴィッツァ」を注文。内陸部なので魚介類ではなくグリル料理が有名とのこと。
普通のハンバーグよりも薄く、スパイスの効いた味。日本人には食べやすい味だと思う。


嫁さんは「チェバプチッチ」という、ボスニア風ソーセージ。こちらも同じような味。


お腹が満たされたところで買い物タイム。バザールはいかにも「イスラム」という雰囲気の商品ばかり。

個人的にはトルコやインドで経験しているので何とも思わなかったが、
イスラム圏が初めての嫁さんはデザインや色使いがエラく気に入ったらしく、小物入れに銅製のトレーにバッグにスリッパ―に…と
いつになく積極的に買い物に精を出していた。
帰りの荷物がちょっと心配…(笑)


あっという間に自由時間は終わり、バスに戻る。予定通り15時に出発。

帰路はトイレ休憩以外特に立ち寄るところもなく、真っ直ぐドブロブニクへ。(もちろん国境の検問はあるが)
行きにも寄った休憩所の売店で、クロアチア産の塩(海水塩)を購入。クロアチアは塩も有名らしい。
土産物屋だと高いが、ここはスーパーなので良心的なお値段。


帰りも特に渋滞することもなく、17時半頃到着し、解散。
一旦宿に戻って荷物を置き、夕飯を食べに旧市街へ向かう。

夕飯は昨日食べ損ねた生ガキを食べねばならぬ。
ガイドブックを忘れてしまったが、記憶を頼りに辿り着く。メニューの内容から多分合っている…と思う。


スターターに生ガキを頼んだのだが、店員さんが忘れたらしく小魚のフライとムール貝が最初に登場。


もの凄い量に見えるが、味が良いので2人でペロッと平らげた。(with Beer)
続いて満を持して生ガキ。通常のものとは違い、丸っこい貝なのがクロアチアのカキの特徴。


レモンをたっぷり絞ってツルッと一口で。全く生臭くなく、さっぱりとしたレモンと濃厚なカキの味が混ざって最高!

〆はシーフードスパゲッティ。こちらも魚介のエキスがたっぷり入って奥深い味。


最後はドブロブニク名物のクリームブリュレ・ロジャータ。
味はまあ普通のプリン。ちょっと固めで生クリームが乗っている位か。


ビールも結局2杯飲んで、18時半から20時頃までゆっくり過ごす。
最後の夜もアドリア海のシーフードを満喫。
日本ではあまり魚介類(特に貝類)は好きじゃなかったのだが、こっちに来てからは美味しく食べられるようになった。
素材の違いなのか調理方法の違いなのか…。貝類の扱いは断然欧州の方が上手いと思う。


帰りがけにスノークリスタルを…と思ったが、同じ位の大きさの船のオブジェがあったのでそっちに変更。
一辺倒ではなくてたまにはアクセントを入れないとね。

宿に戻って宿泊費を払う。明日は家族で出かける予定があるため、朝会えないかもなんだとか。
この辺が民宿っぽいね。鍵は置いておいてくれというが大丈夫なのか(笑)?


さて。クロアチアの旅も明日が最終日。
明日はロープウエイでスルジ山の山頂に登ったり、戦争博物館に行ってみる予定。
飛行機は16時半頃なので半日程観光を楽しむ形かな。もう大半は回ったし問題ないハズ。


ではでは。


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